「恩返し」という言葉はご存知かと思いますが、「恩送り」という言葉をご存知でしょうか。
「恩返し」とは文字通り、恩を受けた人へその恩を返すことです。
「恩送り」とは、受けた恩を直接その人へ返すのではなく、他の誰かに送っていくということになります。
今回は、私が「恩送り」というものを意識することになったエピソードを交え、「恩送り」の大切さについて記事を書きたいと思います。
(スポンサーリンク)
もくじ
「恩返し」も必要
「恩返し」よりも「恩送り」とは言うものの、恩返しだってないがしろにすることはできません。
自分が受けた恩が返せるように意識したり努力することは必要ですし、返せる時に返しておくのが良いのは間違いありません。
恩を受けた人とは、例えば
|
などになるかと思います。
その多くは「目上の人」だったり「年上の人」になるのではないでしょうか。
「孝行のしたい時分に親は無し」ということわざもありますが、孝行や恩返しをしたいと思った時に、なかなかそれが出来ない状況であることも珍しくありません。
遠方に住んでいたり、気軽に会うことが難しかったり、仮に会えても遠慮や謙遜で拒否されてしまう等、恩返しができないこともあるかもしれません。
つまり、どちらにしても「恩返しは100%返すことが難しいもの」だと言えます。
大切なのは
「恩を返そうと意識すること」
「恩を返そうと努力すること」 「恩を忘れないこと」 |
なのです。
要は「自分の中の問題」です。
見返りを求めて「いつか恩を返してもらおう」と思っている人は殆どいないでしょう。
ですから、恩返しは「自分を成長させるために意識することは必要」だと言えるのです。
「恩送り」の効果
一方、「恩送り」は受けた恩や人に関係なく、全く別の人に無償の恩を送っていくものになります。
一見、「全く意味の無いもの」のように感じるかもしれませんが、
「恩を共有する」
「恩を拡散する」 「恩を後世に残していく」 「恩で支え合う」 「恩で良い循環を創り上げていく」 |
という効果があります。
「共有」「拡散」と言うと、まるで「リアルSNS」ですね。
自分が受けた恩を他の誰かへ送り、その恩がまた別の誰かに送られていくのです。
自分の「無償の恩」が共有され、拡散され、後世にまで残っていくことで、社会全体にも良い循環が生まれます。
多くの人が「恩送り」を実践すれば、自分だけでなく多くの人が救われます。
想像するだけで「良いことだらけ」ですね。
私が「恩送り」を意識したエピソード
私が「恩送り」を意識したのは大学生の時でした。
学生の時はとにかく貧乏で、毎日「ふりかけごはん」や「卵かけごはん」で何とかしのいでいました。
そんな私に、大学の先輩が何度も焼肉などの外食に連れて行ってくれていました。
私はこの先輩にとても恩を感じていました。
アルバイトを始めた私は、その給料で先輩に恩返しをしようと
「いつも奢ってもらってありがとうございます。今日は私に奢らせて下さい」
と申し出ました。
すると先輩に
「先輩が後輩に奢るのは当たり前のこと」
「だからお前もそのお金で俺じゃなくて後輩に何か奢ってやれ」
と言われました。
この時私は「なるほど、そういうものか」と目から鱗でした。
今考えれば、その時に「恩送り」を意識し始めたのだと思います。
実際「今、何ができるのか」
実際問題、「恩送り」と言っても現実的に今の自分に何ができるのでしょうか。
私は「日々、意識しておいて、何かあれば行動に移せればいい」と考えています。
わざわざ困っていそうな人を探してまで恩を送る必要はありません。
日常でもし困っている人がいれば、自分の可能な範囲で恩を送ればいいのではないでしょうか。
気の置けない昨今
しかしながら、最近は物騒な世の中になってきました。
「俺おれ詐欺」など、人の善意につけこむ犯罪も増加してきており、気の置けない昨今です。
「恩送り」をしにくい世の中になってきたと言えます。
しかし、こんな時代だからこそ「自分が正しいと思う選択をする」ことが必要です(もちろん詐欺の手口には引っ掛からないように)。
「正しい選択をし、慈悲のある人が最後に笑っている世の中」であって欲しいと願います。
最後に
今回は「恩返しと恩送り」「恩送りの大切さ」について記事を書きました。
恩返しも恩送りも大切なことですが、特に気負う必要はありません。
自分の身の周りで困っている人がいれば、可能な範囲で助けてあげたり、恩を送ることで、巡り巡っていつかまた自分に戻ってくることもあるでしょう。
「情けは人のためにならず」ということわざの通り、「情けは巡り巡ってやがて自分のためになる」のです。
そして「世の中に恩が充満」すればより良い社会になっていくのではないでしょうか。