麻生太郎金融担当相が「夫婦で95歳まで生きるには2千万円の蓄えが必要」と試算した金融庁金融審議会の報告書について、2019年6月7日の閣議後の記者会見において「不適切だった」と述べました。
確かに、不透明な部分(年金支給額や支給時期)や不確定要素(身体の状態や介護の要否)などがあるために、一概に「2千万円必要」と言われてもピンときませんし、ましてや「2千万円も貯蓄できない人はどうなるのか」という不安が残ります。
「人生100年時代に国民一人一人が勝手にやれという責任放棄宣言だ」という野党からの批判もあり、「老後を豊かにする額を示したものだ」「不足額を表す赤字という表現を使ったのは不適切だった」という流れです。
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もくじ
ニュース概要
麻生氏、金融審報告の表現不適切 「老後2千万円」で
麻生太郎金融担当相は7日の閣議後の記者会見で、95歳まで生きるには夫婦で2千万円の蓄えが必要と試算した金融審議会の報告書について「老後を豊かにする額を示したものだ」と説明し、不足額を表す赤字という表現を使ったのは「不適切だった」と述べた。
報告書を巡っては、政府の「責任放棄」などと野党が追及姿勢を強めており、批判の沈静化を図ったとみられる。
麻生氏は、公的年金について「老後の生活設計の柱になっている」と重要性を強調し、2千万円という金額は「老後を豊かにするための額を、一定の前提で出した試算だ」と釈明した。
【引用元】共同通信
2千万円の違和感
現在、政府は希望する人には70歳まで働けるように企業に求めていく方針です。
年金の支給開始も「希望者には70歳から」という方針なので、「老後は70歳以上」と仮定した場合、95歳まで25年間あります。
※試算では、「夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の家庭」とされていましたが、ここではわかりやすく「70歳以上」にします。
2千万円を単純に25年で割ってみる
あくまで「豊かな生活のための2千万円」とのことですので、文化的で最低限度の生活は「年金」で賄ってくれるものとして計算してみます(当初は「毎月の不足額の合計が約2千万円」ということでしたが)。
2000万円÷25年=80万円/年
という計算になり、1年に使える金額は80万円となります。
更に80万円を12か月で割ってみると
80万円÷12か月=約6万7000円/月
となり、1月に使える金額は約6万7千円となります。
これが本当に「余裕資金」であれば良いのですが、この金額を足さないと文化的で最低限度の生活ができないのだとすれば「ギリギリの金額」です。
最低でも生活保護水準の年金が無ければ「普通の生活さえままならない」状態です。
そもそも2千万円も貯金ができない現実
恐らく今後、2千万円以上貯金ができる人と全く貯金が無い人の両極端な状態になるのではないでしょうか。
特に、今の若者は給料から引かれるものが多すぎてまともな貯金が作りにくい状態です。
社会保障費の増大に伴って、若者が多額の社会保障費を負担することによって高齢者の生活を支えていると言っても過言ではありません。
今後の若者は、搾取されるために働き、高齢者を生かすために倒れていく時代が来るのではないでしょうか。
最近は、高齢ドライバーの事故報道も多く、「物理的にも若者が高齢者に倒されている」のです。
また、ワーキングプア状態の若者も多くいます。
今日明日の生活だけで精一杯なのです。
退職金が数千万円単位で出るのは公務員や大企業に勤めている人達だけでしょう。
そんな私も、2千万円を貯める自信がありません。
求めているもののズレ
政府と国民が求めているもののズレが生じてきてしまっているように感じます。
70歳まで働ける環境や社会情勢が欲しいわけではなく、「70歳まで働かなくても幸せに生活できる」環境と社会情勢が欲しいのです。
2千万円があれば豊かな老後が送れる試算をして欲しいのではなく、「2千万円を貯めるための負担軽減策」や「2千万円が無くても豊かに生活できる社会保障」が欲しいのです。
今後、「ベーシックインカム」という政策が導入される日を願うばかりです。
最後に
今回は「夫婦で95歳まで生きるためには2千万円が必要」という不適切表現と、そもそもそんなに貯めることができない現実について記事を書きました。
政府の方針と国民が望むことにはズレが生じてしまっているのではないでしょうか。
一人でも路頭に迷う人を減らせるように、実情に沿った政策を期待したいところです。