雑記

「誰かが覚えている限り命は続く」人間は三度死ぬとは?

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「人間は三度死ぬ」という言葉をご存知でしょうか。

誰が言いだしたのかはわかりませんが、その内容にも諸説あります。

もちろん、この世に人間として生を享けたからには、いずれ「死」というものに直面することになるのですが、「三度」と言われると「どういうことだろう?」と思ってしまいます。

 

 

 

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人間は三度死ぬとは?

 

 

「人間は三度死ぬ」とはどういうことなのか、3つの説をご紹介します。

 

1つ目の説

1度目 「本人の死」

2度目 「当人を知るものが全て死んだとき」

3度目 「生きていたという記録の消滅」

 

2つ目の説

1度目 「肉体がなくなったとき」

2度目 「人から忘れられたとき」

3度目 「DNAがこの世から消えたとき」

 

3つ目の説

1度目 「肉体がなくなったとき」

2度目 「DNA情報や記憶や記録がなくなったとき」

3度目 「肉体は生きているのに情報が途絶えてしまったとき」

 

共通点

上記3つの説に共通しているのは「本人や肉体の死」は避けられないという点でしょうか。

もちろん、神羅万象自然の摂理で避けては通れぬことではあります。

しかし、二度目の死に共通するのは「誰かが覚えている限りは命は続く」ということが言えます。

逆に言えば「肉体が生きていても記憶から抹消してしまうと死んだも同然」と読み取ることができます。

三度目の死では、DNAであったり、記録の抹消や情報の遮断(独居老人や引きこもり等)と様々でした。

 

 

 

今後増えていく可能性が高い「孤独死」

 

 

人間は誰であってもいつかは死を迎える時がきます。

「その死が三度ある」ということを書きましたが、3つ目の説にある「肉体は生きているのに情報が途絶えてしまったとき」というものが今後増えていくのではないかと思っています。

既に社会問題となっている「孤独死」に該当します。

孤独死は肉体の死ですが、

  • 外部からの情報遮断
  • 他者との交流断絶

によって「孤独な最期」を迎えるに至ります。

それは、自分からそうしている場合もあるでしょうし、否応なしにそうなってしまった、結果的にそうなってしまったという場合もあるかと思います。

他者からも社会からも存在を認知されていない時点で

  • 社会的に死んだも同然
  • 生きていながら死んだも同然

という状況が作り出されているのです。

今後益々、超高齢社会となり独居高齢者も増えていくことでしょう。

また、最近は引きこもりの問題も話題になっています。

自分で助けを呼べたり、何らかのアクションを起こせるうちは良いですが、自分でも知らぬ間に認知症になってしまったり、突発的(あるいは慢性的)な病気の発症により助けを求められなかった場合は、「生きていながら死んだも同然」と言えるのではないでしょうか。

そういうことを防いでいくためにも「社会全体で支える仕組み」が急務ではないでしょうか。

 

 

 

最後に

 

 

今回は、「人間は三度死ぬ」ということについて記事を書きました。

肉体がなくなってしまっても、誰かが覚えている限り命は続きますし、逆に肉体は生きていても社会や他者から認知されず情報も遮断された状態では死んだも同然と言えます。

今はインターネット上のSNSなどで外部や他者との接触や情報収集も出来ますが、リアル生活に干渉するものではありません。

しかし、全く社会との繋がりを断絶してしまうよりは、ネット上であっても繋がりがある方がマシなのではないでしょうか。

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